2022年

2022/2/14 NHKサラメシの裏話と反響①

数週間前の1月25日、サラメシの本放送が、その後数日間に渡って再放送が放映されました。
面識のない方からもFacebookでサラメシを見ましたというメッセージをいただいたり、事前に伝えていなかったクライアントさんや知人からもご連絡をいただき、一躍「時の人」となりました。
本音を言えば、もう少し「時の人」でいたかったのですが、予想通り、最後の再放送を境に一般人に戻りました。笑
  
そもそも、このサラメシ、「何がきっかけで出ることになったのですか?」という質問をよく受けます。
昨年5月に台湾での防疫警戒レベルが上がり、外食ができなくなった頃、自分の弁当を作るついでですが、スタッフのために弁当を作った時期がありました。日本人スタッフの美智子さんがその話を日本のお友達に話したところ、「だったら、サラメシに投稿してみれば!?」という話になったようです。海外在住期間が長く、サラメシの存在を知らなかったのですが、その話を聞いた僕(目立ちたがり屋)は、「面白そうですね!」と言って、早速、数枚の写真をNHKのサラメシホームページに投稿しました。それがきっかけでサラメシとの繋がりができたというわけです。
   
正式に台湾特派員として素材を集めてもらいたいという依頼があったのは、投稿から約3か月後の昨年9月半ばでした。
実は僕はインスタのストーリーに時々中森明菜の動画を載せることがあるので、明菜ファンの友人から「太郎ちゃん、YOUTUBEのチャンネル開設して、明菜を語れば!」という提案があり、水面下で「明菜を語る 太郎の部屋」プロジェクトがスタート、こんなネタ帳(右)が出来上がったばかりでした。

サラメシの特派員の依頼があった後は、サラメシに専念するべく、急遽、裏面(左)をサラメシのネタ帳にし、「明菜を語る 太郎の部屋」プロジェクトは暫くペンディングとなりました。 
 
9月半ばからの3ヶ月半、会社のスタッフ、友人、大学の先輩などにもご協力いただきながら、いろいろな素材を集めて、日本の制作サイドに送りました。
動画を日本の制作サイドに送る過程、父にもその都度話をしていたのですが、時に、朝早くのLINEメッセージで、「サラメシの件で聯絡乞う」というメッセージが届き、何かと思って連絡をしたら、「自己紹介のパートは台湾に来たきっかけを細かく(もともとは中国で中国語の勉強をする予定が、カナダで知り合った台湾人のアドバイスで台湾に来ることになって、云々)話しなさい。」と指示が飛んできました。父には、数分間にまとめられるので、そんな詳細を説明しても意味がないんだと伝えたのですが、とにかく、うんざりするくらいのアドバイスをもらいました。
この数か月間、父はステージパパ、完璧プロデューサー気分だったことと思います。宮沢りえのりえママか二村太郎のたろパパかというレベルです。

【放送日までの一週間】
NHKの規定で正式に放送日を公表しても良いとされる放送日の一週間前から本放送当日までの期間、僕は父とFacetimeで頻繁に連絡を取り、放送のことを伝える人に漏れがないか等の確認作業に追われました。父は「サラメシ連絡簿」まで準備した徹底ぶりでした。
父も母も兄弟が多く、従兄弟も相当沢山います。いいきっかけだからと言い、それ以外にも、年賀状のやり取りくらいしかできていない遠い親戚にまで連絡を取っていました。
ちなみに、2022年の父の年賀状はこれです。
(この時点では放送日は確定していませんでしたが、結果として、絶好のタイミングでした)

数年前から、「ありきたりな年賀状はつまらない!」と言い、愛する息子ネタ盛りだくさんの年賀状になりました。それも、父の指示で息子が写真選定からレイアウトから全て担当。本当に変わった親子ですよね。汗
  
父にとって、この本放送までの一週間はとにかく慌ただしく、そして、人生で一番ワクワクした一週間だったことと思います。
  
そんな僕も、本放送数日前に、毎年恒例の、以前勤務していた会社の忘年会(旧正月前の)にご招待いただき、急に舞台で挨拶をという流れになったため、「来週、NHKに出ます!」。サラメシアピールをさせていただきました。
 
【放送日前夜】
父と「とうとう明日だね~」という話をし、Facetimeを切る前に、僕は父に「明日まではしっかり生きていてね!」と伝えました。ピンピンころりを目指している父ですが、ピンピンころりは是非サラメシ放送後にとくぎを刺しておきました。
 
さて、次回は、サラメシ本放送当日のお話です。ご期待ください!