2001年
当時、僕は大学卒業3年目、国際弁護士を夢見て司法試験の勉強に励んでいた。
大学時代にふとしたきっかけで、司法試験の勉強を開始した。
当時の僕は「自分に不可能なことはない!」と思うくらい、すべてが順風満帆で、相当うぬぼれているところがあった。
司法試験は、日本最高峰の国家試験。自分のすごさを他人に知らしめるためにも、司法試験は絶好の挑戦だった。
2回目(1999年)の受験では、論文式(二次)試験の結果は不合格だったものの、他の友人が不合格の中、自分は早くも択一式(一次)試験合格という結果を残し、周りの友人からは「さすが太郎!」とちやほやされた。
僕はこのまま近年中に弁護士になれるものと思っていた。
この時点では、その後の人生が一転して、地獄に突き落とされることなど想像もしていなかった。
人生の歯車が狂いだしたのは、3回目(2000年)の択一式試験に落ちた時だった。僕はその時、初めて司法試験の恐ろしさを知った。
僕はすぐにアルバイトをやめ、毎日13時間ほど机に座り勉強に励んだが、どこかで試験に対する恐怖感「もし試験に受からなかったら、自分の人生はどうなるのだろう?」という不安が絶えず頭の中をよぎっていた。
原因は定かではないが、4回目(2001年)の択一式試験の数週間前に、右下腹部のしこりの存在を発見した。
この年の択一式試験には合格できたものの、7月の論文式試験までの3ヶ月間の中で精密検査を繰り返し、結果、担当医から手術をして摘出する必要があると診断され、論文試験終了の翌日から入院することが決まった。
2001年7月
2日間に及ぶハードな論文式(二次)試験を終え、その翌日から入院生活が始まった。
漠然とした病気の不安はあったものの、自分自身、若くして重い病気になるわけがないと思っていたし、手術までの1週間、沢山の友人がお見舞いに来てくれ、僕はある意味初めての入院生活を楽しんですらいた。
2001年7月30日
朝から始まった手術は8時間にも及ぶ大手術であったらしい。
翌朝、右下腹部に生々しい大きな二本の傷跡を目にした時は多少ショックを受けた。
その後、毎朝検診に来る担当医から決まって「睾丸は腫れていませんか?」と聞かれた。
特に異常はなかったが、数日後から睾丸が腫れだし、歩行が困難になった。
翌朝、検診に来た担当医にその旨を伝えたところ、衝撃の事実を伝えられた。
「手術の際、腫瘍が精管の近くまで広がっていたので、精管を一本切除しました。
そのために一つの睾丸が腫れています。
その睾丸の腫れが引かなければ、近日中に睾丸摘出の手術をします」
手術後間もない段階で、
①右下腹部の筋肉を大きく切除したので、そこの穴をカバーするためにメッシュを埋め、それは一生体に残り、違和感が残ること、
②今後激しい運動はできないこと、
③タバコや酒も控えるべきであるとのこと
を伝えられていた。
自分自身としては、想像以上に大変な状況であったことに戸惑いを覚えていたが、睾丸摘出の可能性を告げられた瞬間は、とどめを刺された気分であった。
結局、睾丸の炎症が引いたので摘出自体は免れられたものの、この病気は僕の人生の中に大きな影を落とす結果となった。